大学のレポート・卒業論文はこう書く

T.HANADA
1 手書き原稿も棄て難いが…

 手書きの魅力は棄て難い。なにしろ原稿用紙のマス目をペンで一字ずつ埋めていく伝統的な緊張感は自分の文章が(したがって思考が)ともすれば冗漫になることを防いでくれたりもするし、また文学作品や先行論文の文章を引用するために一字ずつ慎重に書き写していると、それまでただ目で追っていた際には気づかなかった重要な、あるいは気になる表現に出くわすことがあるから、そこにこだわっていくうちに、思いがけず自分の論の一つの重要なポイントがつくれる。
 手書きするかどうかは自分の頭脳の回転スピードとのかねあいもあろう。文字記述のスピードからすればパソコンやワープロのほうがだんぜん速く、すこし慣れさえすればママ・チャリと原付バイクくらいの差はすぐにつく。もし頭の回転が速すぎて、たとえば「魅せられる」とか「毀誉褒貶」といった、やたら画数の多い漢字をしこしこと手書きしているうちに、せっかく頭のなかに浮かんだアイデアを取り逃がして(忘れて)しまうという不満を持っている人は、ためらうことなくパソコンやワープロに移行すればいい。反対に、自分には手書きがよく似合うとか、あるいは頭の回転は速いが、かえってそのスピードこそが危険なのだと警戒する人は、どうぞ頑固に手書きにこだわればいい。陶磁器の名匠がおのれの掌の感触ひとつで芸術的なミクロの曲線を造型するわけじゃなし、レポート・卒業論文レベルの手書き論議は、まずは一長一短というところか。メリットとデメリットを勘案し、自分で折々に自在に判断したらいい。

2 手打ちもあるが手打ちなしもある

 手書きが面倒なら手打ち(指打ち?)って方法もある。といっても自分の文章はキーボードを打たなきゃ書けないのだから、タイプライターみたいにひたすら打つしかないのだが(音声入力ソフトもあることにはあるのだが…)、引用文に関しては最近は画像読み取りのスキャナに付属しているOCR(文字読み取り)ソフトの精度が急上昇してきた。これを使用すれば、レポートや卒論の対象とする作品や、しばしば引用する予定の先行論の本文を読み取って文字データとして保存しておき、自分の論の該当箇所に引用したい部分を「コピー→貼り付け」すればいい(MacマシンにしろWindowsマシンにしろ同一モニター上に二つ以上の画面を立ち上げることができるから、自分の論を書き進めている途中でもう一つの画面を立ち上げて該当箇所を「コピー」し、自分の論の画面に戻って該当箇所に「貼り付け」てやればいい)。ただしOCRソフトは濁音(「ば」など)と破裂音(「ぱ」など)をとり違えたりするのが定番のミスだから、これらは逐一修正しておく(なるべく一度はプリントアウトして点検しておく)必要があるが、ただ引用ミスというだけなら手書きの場合のほうがむしろ多いだろうから、総合的にいえばこちらのほうが精度は高いといえるかもしれない。かくて、このソフトを使うと、引用箇所に関しては手打ちなしのクリック動作だけで書けてしまう。ある作品についての共通課題のレポートがあったり、同じ対象の作品で卒論に取り組んでいる場合は、この作業を共同で分担し共有するのも一案だが、このOCRでの読み取りはテキスト文書でしかできないから、ルビや傍点や特殊文字・記号などが欠けてしまう。自分のパソコンに収納する際は、自分の使用している日本語ワープロ・ソフトで読み出してルビ等を補い、そのソフト専用書式の文書として「保存」する必要があるが、これだと他人の異なる日本語ワープロ・ソフトと互換性がなくなるから、デジタル・テキストのままで、「てこ(2字傍点)でも動かない」とか、「撰(ルビ、えら)ばれてあることの恍惚と不安と」といったぐあいにしておくと、あとは各自がそれを自分のパソコンやワープロの日本語ソフトで読み込んだあとに、「てこでも」とか「撰ばれて」などと修正してやればいい。

3 インターネットでデジタル・テキストをゲットする

 インターネットを使えば、いくつものホームページ上にさまざまな文学作品の本文が、無償あるいは有償で提供されている。これらをダウンロードしてパソコンに「保存」してやれば、あとは自在に活用できる。試しに、岡島昭浩氏(福井大学教育地域科学部・国語学専攻)のホームページ(http//:kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp)にアクセスしてみよう。このサイトは文字だけのシンプルな機能的デザインだが、先頭ページは、「国語学・日本語学論文集(国語学概論・国語学研究法なども)」・「古典・近代文学本文・その他(日本文学等テキストファイル)」・「国語学・日本語学関係目録」・「ことば会議室・あれこれ会議室」の四つに大きく分類されていて、第一のコーナーには明治期中葉に「国語」という概念を成立させた上田万年の論文「国語のために」や橋本進吉の著書『国語学概論』の全文などが電子テキスト化されているし、第二のコーナーには日本文学作品の本文(デジタル・テキスト)が満載されている。
 ここ以外にも、デジタル・テキスト・データを入手できるホームページは多くあり、以下、代表的なものを掲げておこう。
 ○菊池真一氏(甲南女子大学)のホームページ
 (ttp://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/linkd.html)
 ○M.Shibataのホームページ
 (http://jcmac5.jc.meisei-u.ac.jp)
 ○ほら貝
 (http://www.horagai.com/www/home.htm)
 ○青空文庫
 (http://www.aozora.gr.jp)
 ○書籍デジタル化委員会 電子図書館
 (http://www.wao.or.jp/user/naniuji0)
 ○私立PDD図書館
 (http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib)
 これらのサイトにはまた、「作家と語る」コーナー(ほら貝)や国語辞典・人名辞典(私立PDD図書館)などもあって重宝するのだが、とにかく電子テキストの大きなメリットの一つは、パソコンの「検索」機能を使って手軽に語彙検索ができることである。
 語彙検索は便利な機能だから活用したほうがいい。ある作品中に特異なニュアンスをもっている語彙があったら、デジタル・テキスト全体をその語彙で検索してやれば他の用例がただちに発見できるし、先行論文の重要箇所をノートをとるようにランダムに書き抜いた文書ファイル(電子ノート)を作成しておけば、論文執筆の際に引用や確認などをしたい先行論文の言及を「検索」して、いとも簡単に取り出すすることができる。すこし技術がいるが、データベース・ソフトを使えばもっと多目的に利用できるだろう。ちなみに、「夏目漱石は温泉がお好き?」(http://www.hirax.net/dekirukana/bochan/index.html)というサイトに行くと、「文章中の単語の出現分布を解析し可視化するソフト」(WordFreq)をフリーウェア(無料)で提供してくれている。解析処理のサンプル画像もあって、それによると「坊っちやん」本文中に「マドンナ」とか「湯」という語が作品のどの箇所にどれくらい登場するかがグラフ表示され、それによると前者よりも後者のほうが作品全体にわたってコンスタントに出現するんだそうな。

4 底本と著作権・版権に気をつけよう

 往年の印刷術の発明は革命的に時代を変えたが、印刷出版のデメリットは製作と流通のコストがかかりすぎることと、一極集中・大量主義の肥大化を招いたことだった。「大量生産→大量消費→大量廃棄」というのが現代資本主義システムの原理だから、これにかなっている本の場合は問題ないが、近年はこの「大量」主義の限界も見えてきた。なんでも数が多けりゃいいってもんじゃない。本にかぎっていうなら、たとえば年間に五人程度しか読者はいないにもかかわらず、この世の中に存在していなければならない本だってあるだろう。文学研究の分野でいうなら、自分の好きな作家の書誌や年譜、あるいは作品の語彙・事項の索引や、その他もろもろのデータを作成して、ひろく世の中に提供したいけれども、これを「印刷→製本→出版→流通―販売」の経路をたどって利用者のもとに届けようとすると高額の本になってしまう。活字本は五十部作成しようが千部作成しようがコストはほとんど変わらないのだ。インターネットのホームページはこれを克服する手段の一つとして、もう一つのメディア革命となる可能性をもっている。しかも、この情報は手元のパソコンで毎日でも訂正・増補していくフレキシビリティをそなえている。だから、多くの人たちがホームページを作成して自分なりの情報発信装置を持ち、ほぼボランティァで電子テキストを提供してくれているわけだから、これを(心のなかで感謝しつつ)利用させてもらえばいいのである。
 ただし、文学作品の本文は、古典文学の筆写本の場合はもとより、近代文学でも生前の作家が作品発表後に加筆訂正して、(森鴎外の「舞姫」や芥川龍之介の「羅生門」みたいに)初出本文と初刊本の本文と再刊本の本文といったぐあいに何種類もの本文があったりする。文庫本の多くは底本を明記せず、さらに一般読者の便宜をはかって現代表記に統一されたりしているから、レポートや卒業論文で要求されているレベルによってはそのままでは使えないことがある。ネット上のホームページからから作品本文をダウンロードして利用するなら、それがなにを「底本」としているかに注意しておくことが必要だろう。ちなみに自分で作成したデジタル・テキストを自分のホームページにアップすることもできるが、その場合は著作権と版権とには気をつけておきたい。著作権は著者の没後五十年、版権も出版後五十年は有効だから、いくら非営利だからといってこれをインターネット上に無断で公開することはできない。没後五十年を迎えて著作権が切れたからといってその作家の作品の(最近五十年間に出版された)文庫本や全集の本文を底本にしてデジタル・テキストを作成して不特定多数の第三者に公開提供すると、著作権にはふれないが版権にはふれることになる。とくに作家の個人全集の場合など、本文確定の過程で諸本を綿密に校合して逐一決定していくテキスト・クリティークの作業をへているのだから、作家の著作権だけの問題じゃないのである。

5 参考文献をインターネットで探索する

 レポート・卒論は、ただの読書感想文ではないのだから、やはり参考文献(先行論文)には周到に目配りしておきたい。図書館等に設置してあるパソコン蔵書検索やCD−ROM版の国立国会図書館や大宅壮一文庫の蔵書目録などで、レポート・卒論のテーマに関する文献を見つけたり、市販の研究書や年鑑の類いに付載されている「参考文献目録」を利用するのが基本だろうが、これにインターネット検索も加えて利用すると、いっそうパワーアップできる。一部の大学や公共の図書館は収蔵書が外部からでもインターネット接続によって蔵書検索できるようになっているから、これで見つけためぼしい本を、図書館間の相互貸借システムを利用して借り出したり、あるいはコピーを依頼すればいい。さしあたり「NACSIS(文部省学術情報センター)」の検索サイト「WEB CAT」(http://webcat.nacsis.ac.jp)で、作家名や事項名などを(適当にあれこれと)打ち込んで検索してみよう。タイトルにその文字列を含む単行書および雑誌特集号が、所蔵図書館名を添えて列挙されてくるだろう。日本国内のホームページをもつ公的図書館の網羅的リストには農林水産研究情報センターの「日本国内OPACリスト」(http://ss.cc.affrc.go.jp/ric/opac/opaclist.html)があり、また各大学図書館のホームページ一覧は、東京工業大学附属図書館作成のリンク集(http://www.libra.titech.ac.jp/libraries_Japan.html)が詳しい。あるいは新刊書の場合なら、現在入手可能な国内の書籍五十数万点を検索できる日本書籍出版協会のホームページ「Books.or.jp(本をさがす)」(http://www.books.or.jp)や、「TRC図書館流通センター」(http://www.trc.co.jp/trc-japa/index.asp)で調べると、どんな本があって、それが新刊書店で購入できるかどうかがわかる。もし品切本や絶版本なら、古書店で探すしかなく、日本古書籍商組合連合の「日本の古本屋」(http://www.kosho.or.jp/search/index.htm)か、「古本屋さんに行こうよ!」(http://www.seaple.icc.ne.jp/~saki)あたりにアクセスして古書価を知り、必要ならe-mailで注文もできる。
 なお、最近の雑誌等に掲載された論文名は、インターネット上だと個人のホームページに頼るしかないが、膨大な数にのぼる雑誌の洪水のなかから個人の力でそれを逐一リストアップしていくには限界があり、現段階では充実しているとは言い難い。それでもインターネットによる文献リストは、態勢さえ整えば毎日でも更新(増補改訂)可能なのだから、この利点は将来的にはもっと生かす必要があろう。

 また、原則的には利用者制限や事前登録の必要があるサイトだが、一部のデータは一般公開されている「国文学研究資料館」(http://www.nijl.ac.jp/index.html)や、さきにもふれた「NACSIS(文部省学術情報センター)」(http://www.nacsis.ac.jp/nacsis.index.html)、および「国立国語研究所」(http://www.kokken.go.jp)などの公的機関のページにもアクセスしてみよう。「NACSIS」には国内の学会リンク集もあったりして、さまざまな学会散歩が楽しめる。さらに、(株)日外アソシエーツのホームページ「NICHIGAI/WEBサービス」(http://www.nichigai.co.jp/web_service.web_service.html)は、これも原則的には有料で雑誌記事索引や作家・執筆者人物ファイルを提供する民間サイトだが、なかには無料で利用できるものもあり、有料ではあっても充実したデータには利用価値があるだろう。

6 気分転換のネット・サーフィンでヒントを貰おう

 いいアイデアが浮かばなかったり気分転換したい時にはネットサーフィンしてみるのも一案だろう。さしあたり何の手がかりもない場合、「グー(goo)」「ヤフー・ジャパン(Yahoo Japan)」「インフォシーク・ジャパン(Infoseek Japan)」といった代表的な検索エンジンでキイ・ワードを打ち込んで「検索」してみよう。たとえば太宰治の小説「思ひ出」を対象にしてレポートまたは卒論を書いているとしたら、「太宰治 思い出」で検索すると、もっとも網羅的な「グー」の場合だと三百件以上のサイトがリストアップされる。これらのうち目ぼしいサイトを選んでクリックすると、そのサイトに行くことができる。そこには大学の研究者や太宰治ファンや自治体などのカラフルなホームページが並んでいるし、また「思ひ出」のなかに登場する太宰治の故郷の金木町にある雲祥寺のホームページ「太宰治『思い出』の雲祥寺」(http://www.jomon.ne.jp/~evsmh5c9/index.html)を訪問して、あの有名な「地獄極楽の御絵掛地」や後生車(ごしょぐるま)の写真なども見ることができる。また、別の個人作家関係のホームページにアクセスすると、たいていのホームページには関連サイトの「リンク」コーナーがあるから、ここからあちこちのホームページにクリック一つで行ってみたらいい。しばし時の過ぎるのを忘れて楽しむことができるだろうし、あわよくばおいしいヒントを貰えることもあろう。ちなみに、これらのホームページはすべてプリントアウトできるし、また自分のパソコンに取り込める(もし学校等のパソコンを使用している場合はフロッピーディスクを準備しておいてこれにダウンロードすればいい)から、これらを総動員してレポートや卒業論文を書くと、なかなか斬新でユニークなものができるかもしれない。

7 検索エンジンとリンク集を活用しよう

 検索エンジンはあまりに網羅的なので(キイ・ワードによっては数千点とか数万点もリストアップしてくる)、つい敬遠してしまいがちだが、キイ・ワードをいくつかかさねて検索すると意外に便利なことがある。うまく絞り込めない場合はさっさと放棄するにかぎるが、ここはいわばカオス的百科事典の索引コーナーみたいなものだから、とにかく調べたい人名や地名や事項などがあったら、さしあたり検索してみるといい。おそれず攻める軽いノリと、いさぎよく撤退する勇気さえ身につけていれば、けっこう役に立つ。
 インターネット上には、さまざまな情報リンク集があって、わたしはよく、吉見直人氏のサイト「情報収集用リンク集」(http://village.infoweb.ne.jp/~yoshimi/link.htm)などを利用する。また、HIR−NET提供の「書籍検索リンク集」(http://www.hir-net.com/link/book_search.html)や、細田季男氏作成の「日本語・日本文学、中国学芸、国語教育を中心としてリンク集」(http://www.shinkawa-hs.kita.sapporo.jp/~hosoda/koku4.html)も充実している。
 これらからだと出版社や新聞社のホームページにも簡単に行くことができる。現代作家についてのレポートや卒論を書いているなら出版社のページに思わぬ情報が掲載されていることがあるし、また新聞社のそれは主要な記事を提供しているから各社の記事を読み較べたり、「沖縄タイムス」(那覇市)や「河北新報」(仙台市)などの記事(の一部)だって読むことができる。全国の各自治体のホームページもなかなか便利である。作家の出身地や作品の舞台となっている自治体のそれにアクセスしてみると、何か収穫があるかもしれない。山口市のページの中原中也コーナーなどは充実している。アドレスがわからなければ、とにかく検索エンジンに自治体名なり作家名を打ち込んでみたら、あとは何とかなるだろう。「情報地図コミュニケーションMapion」(http://www.mapion.co.jp/)というサイトに行けば日本各地の地図を見ることができるし、また現代作家が自分で運営しているホームページもある。たとえば筒井康隆らの「JALInet」(http://www.jali.or.jp/)その他にアクセスすると、作家自身のコメントや有償無償のインターネット小説がアップされていたりする。作家の主宰するチャットに参加すると、作家自身の応答が返ってくることだってある。

8 MLやBBSにチャレンジしてみよう

 ML(メーリング・リスト)は、前もってグループをつくっておいて、ある特定のアドレス宛に誰か一人がメールを送信すると、それがグループ全員に自動的に転送されるというシステム。
 BBS(Bulletin  Board System)はホームページ上に設置された書き込み自由な掲示板のこと。試みに、木村功氏(岡山大学教育学部)のホームページ「AREA SOSEKI―漱石とその時代」(http://www2a.biglobe.ne.jp/~kimura/)にアクセスしてみよう。ここにはMLもBBSも開設されていて、誰でも自由に参加できるように開かれている。BBSは大半のホームページが設置しているから、質問や意見などがあったら、思い切って書き込んでみるといい。誰かが親切に回答してくれるかもしれない。また、すこし工夫すると、自分たちの仲間だけでもMLやBBSを開設することができる(もしBBSを他人に覗かれたくなかったら、パスワード・チェック方式にしておけばいい)。大学のゼミ仲間や、世界各地の友人・知人・未知の人たちと、この私設MLや私設BBSを利用して日常的なコミュニケーションを続けていくことは、(もしそれを上手にやれば)自分を刺激的な環境におくことになるだろう。

9 自前の年譜・年表を作成しよう

 ただしインターネット情報に頼って、そこからえた既存のデータをパッチワークするだけで、すぐれたレポート・卒業論文が書けるわけじゃない。すぐれたレポート・卒業論文とは第一に独創的でなければならない。というわけで、既存の作家年譜や時代年表を下敷きにしながら、自分のテーマに即した年譜や年表を作成してみるのも、独創に近づく第一歩となるかもしれない。もしOCRソフトが使えるならそれを利用して既存の年譜・年表を読み込み(あるいは適当に取捨選択しながら手打ちしてもいい)、これをもとにして自分なりのテーマに即した年譜・年表を作成していくのである。作家の個人年譜の場合なら、作家自身の回想文や知人らの証言あるいは伝記考証の成果などを当該年月の項に書き加えていって、たとえば「『雪国』論のための川端康成年譜」とか「筒井康隆のインターネット小説を論じるための同時代年表」とか「近代日本の南進政策を文学作品を通して考察するための近代史年表」とかを完成させてしまうのである。これらがいささか大がかりに過ぎるというなら、もっとミニ版でもかまわない。北原白秋の詩集『邪宗門』の出現を考察するための同時代年表を、せめて五年間分でもいいから、作家個人や文学史的な事項だけでなく、日露戦争前後の政治的動向、国民国家(民族)意識の形成過程、美術・音楽・哲学分野を含む文化史的な潮流、交通史・メディア史の事項などに加えて、諸外国の同時代的動向も併記してやると、意外に新鮮な光景が見えてくる。ただし、あくまで自分のテーマ・対象に即してこれをやるべきだろう。留意すべきは、あくまで『邪宗門』所収の詩篇を書きつつある当時の白秋を中心に置いて、その彼の目から周囲の世界を三六〇度眺め渡してみたときの光景――、この視線によるかぎり、彼の近くで起きた出来事は大きく映り、彼に興味のあることは大きな関心をひいているはずで、このいわば汎用性のない年譜・年表は、従来の大量主義に立つ活字メディアの苦手とするシロモノで、電子メディア時代の特産品でもあるだろう。努力して力作が完成したら、せっかくだから自分のホームページをつくって、そこにアップしよう。これを一年間に五人しか利用する人がいなくても、(くり返して言っておこう、)こういうものはこの世の中に存在しておく価値があると信じていい。また、参考文献目録もこれと同じ要領で、自前のものを作成してみよう。当該の作家名も作品名も登場しない古今東西のあらゆる領域横断的な文献が並ぶことになって、ずいぶん風変わりなものになるだろうが、それでいい、というより、それがいいのである。

10 電子メディアはパンドラの箱?

 インターネットもパソコン・ワープロも、論文執筆上の利便性は飛躍的に高めてくれるが、それ以上でも以下でもない。あたりまえのことだが、ものを考えるのは自分の頭以外にはない。最近流行の論文を読んでいると、あらかじめ自分の頭脳に解析ソフトが組み込まれていて、ある特定の作品なり事項なりをこれで分析して結果を表示するといったていのものが少なくない。比喩として言うのだが、解析ソフトには国民国家・ジェンダー・家父長制・植民地主義・ピジン・他者・異化・欲望・隠蔽などといったタームがプログラミングされていて、これに素材をセットして、パソコンのエンター・キーをポンとたたくと、たちどころに解析結果がモニター画面に表示される、そういう電脳論文が量産されている。かくいうわたしも自戒をこめていうのだが、これだと器用な人は毎日でも論文(らしきもの)が書けてしまうし、これを電子メディアを利用して、たれ流すことも可能なのだ。いや、電子メディアの世界だけでなく、今日では活字メディアの世界までがこれに浸食されている現状には、もっと自覚的であっていいと思う。手書き原稿かどうかは関係なく近来流行の電脳頭の論文は、まことにシャープであざやかに見えても、ただキイワード解析してわけ知り顔に説明しているだけで、ちっともクリエイティブじゃないから、いまひとつおもしろくないのである。
 かつて原子力が万能のエネルギー源として夢見られた時代があった。鉄腕アトムが登場し始めた時代のことだが、自動車や飛行機や船舶はすべて原子力エンジンになり、人工太陽で昼夜の区別もなくなり、月世界だってこの原子力パワーを利用すれば永住可能になる、そんな夢が少年科学雑誌で語られたのだったが、結果的には原子力はせいぜい発電と核兵器にしか利用できないことがわかってきた。のみならず頻発する原発事故や核廃棄物処理の問題には、これといった解決の糸口も見つかっていない。核兵器の潜在的恐怖感も小さくない(いまや世界中が潜在的被爆国なのだ)。
 それから半世紀、電脳世界もコンピュータ・ウイルスや他人のコンピュータに侵入し破壊するクラッカーやネット・ストーカーなどの対処に困惑しきっている。科学の分野では、フランスの高音速旅客機の事例を引いて、「コンコルドの誤り」という警句があるそうだ。膨大な資金と労力とを費やして開発しても利便性が低かったり採算がとれないと判断される場合にはいさぎよく撤退したほうがいいのに、それまでの投資努力に縛られて正常な判断が下せない事態をいうらしい。イギリスの経済哲学者E・F・シューマッハーのいう「スモール・イズ・ビューティフル」の原理は、旧時代への回帰的ノスタルジアとしてでなく、次世代の新しいシンプル化策への提言として聞いたほうがいいだろう。活字メディアの大量主義に対する電脳システムのゲリラ戦はそれなりに有効でも、パソコンのハードやソフトの新製品は依然として大量主義を継続するばかりか、電子メディア情報自体が、もっぱら活字メディアのデメリット部分を補償する役割しか果たしていないとすれば、このことこそが問題だろう。現段階では、パソコン機器の部品やデータの互換性が低かったり、テレビみたいに簡便には使いこなせない。うかつに踏み迷うと、人生の大半をこのモンスター・マシンの調教技術に浪費しかねない。機能と目的とは、はっきりと識別しておいたほうがいい。
 パソコン・インターネットを利用するメリットの一つは、さまざまな情報を大量に収集できることであり(ただし、これらのデータが信頼できるとの保証はない)、あと一つのメリットは、これらの情報を分類整理し、いわば効果的にシンプル化できることである。
 自前の技術力と知力とを存分に生かして、新・新時代の独創的なレポート・卒業論文にチャレンジしたい。