■Ache Life History (Hill and Hurtado, 1996) 冒頭に挿入されたエピソード
 

 歩いていた女たちは歩くのをやめて、しばし立ちすくんだ。「シィーッ、静かに!」すると、彼女らはふたたびその声を聞いた。わずかに遠くのほうでだったが、ぞっとする悲鳴のようだった。突然、地獄のような混乱が森のキャンプ地にやってきた。若い女はかん高い声やうめき声を上げ、子供たちは近くの木にすばやく逃げ登り、「アイエイ、アイエイ、アイエイ」と、リズミカルな声で泣き始めた。背負い帯の赤ん坊は、母親がバスケットを放り出し地面に落とす間、乱暴に揺さぶられたので、泣きわめいた。年寄りの女性はしかめ面をしてしかりつけ、男のほうに向かい叫んだ。「そこを早く行き過ぎるんだよ。あいつが叫んでいるよ」。興奮して議論をした。悲鳴だったのだろうか。だれの悲鳴だったのだろう。
 

 ラグーンの向こう側から木の葉のカサカサいう音が聞こえたので、大きな声で呼びかけた。「だれ?だれがジャガーに襲われて金切り声をあげたんだい?」「俺はメンボギだよ」と答えが返ってきた。「悲鳴をあげたのはわたしたちの兄弟なのかい?」。それからもう何も物音がなかったので、徐々に、集団は落ち着きを取り戻してきた。きっと、竹林を吹きならす風の仕業だったのだ!
 一日が終わり、狩りに行っていた者たちが女の用意した小キャンプに集ってきたとき、メンボギは恐るべきことに気がついた。狩りに行った者たちのひとりがいなかった。メンボギの兄、アチプランギが行方不明だった。
 

 翌日クチンギが、アチプランギを最後にみた地点から跡を辿った。数時間の後、仕留められて置き去られたシャクケイ(鳥類、ホウカンチョウ科)とともにアチプランギの持っていた矢がすべて一カ所にあるのを見た。弓はどこにも見つからなかった。そこにバクの新しい足跡があったので、それをたどった。もしかするとアチプランギはバクを射て、その後に弓は残して、地面をはってバクを追って行ったのかもしれない。それからクチンギは驚くべきしるしに出くわした。バクの跡、それからおそらくはバクを追っていたアチプランギが草むらの間に残したらしい跡に重なり、大きなジャガーの足跡があった。ジャガーがバクを殺したのか。ジャガーというのはよくバクを殺す。それとも、アチプランギがバクを射て、ジャガーはその後からつけたのだろうか。初めにジャガーがバクに襲いかかり、アチプランギはしとめようとして後を追ったということもありうる。そうしてジャガーが彼を見つけたというのだろうか。あるいはアチプランギはバクを追っていったけれども、振り返って、ジャガーも同じ道を来ているのに気がついた、ということもある。クチンギはシャクケイの死骸があったところに戻り、それを焼いた。そこから引き返しはじめたとき、数分しか経っていないような真新しいジャガーの足跡が、大きな水流のそばにたくさんあった。鳥が慌ただしく飛び立ち、危険を告げるように鳴いた。ジャガーがすぐ近くにいることが分ったクチンギは、キャンプに走り帰った。アチェたちはアチプランギの体を見つけることができなかった。
 

 キャンプに戻ると、子供たちに棒や蔓で殴られて、ピラジュギがすすり泣いていた。「打つんだよ!」と、老女が堅く命じた。「しっかりと打つんだ!」「もういいよ」何人かの年寄りの男は彼女をいさめた。ピラジュギは彼らの「神の子」だった。まだ母親の子宮にいるときに、母親に肉をやって、彼女の「エッセンス」が育つのを助けたのだった。彼女の名前は彼らによって与えられ、彼らが彼女を守るのが掟だった。ピラジュギはまだ17歳で、最初の夫がアチプランギだった。出産を間近にひかえて腹が大きかった。
 
 

(この小さな集団のキャンプは、ジェジュイ=グァスという、泥がちで蛇行した大きな川の土手の側に設営されていた。この川は、熱帯の暴風雨に千年以上さらされ、さらにかつては巨大な内湖だったという平坦で砂がちの洪積土の平地を執拗に曲流したため、流れに沿って湿地や三日月ラグーンを形成していた。最近3日間降った雨の後で氾濫したので、川を渡ることはいまはできなかった。前回の洪水のときに渡ろうとして、チェグリの赤ん坊が水に落ち、なすすべもなく押し流されてしまった。彼女も集団のだれも、泳げなかった。)
 
 

 また雨が降り始めた。普段なら彼らは、ヤシの葉でシェルターを作り始め、それから残りの日をじっとしていたことだろう。だが今はみなが移動して危険や悲しみから遠ざかりたがった。女子供はそわそわし、男たちの挑発(とくに、殺しをおこなったことを示す傷跡が背中にある、最長老の男の)を避けるために気を張っていた。男たちは死によって、「人間性のエッセンス」が失われた'bylla'とよばれる状態だったから、どんな小さな挑発にも乗って発作的暴力を引き起こしかねなかった。人々は重い足取りで、雨と泥の中を日暮れまで歩き、キャンプを準備した。焚き口が見つからず、乾いた大木のうろ穴に火を焚いた。男たちは、前に木こりのキャンプから盗んできた、おんぼろでガタのきた斧で、周囲の叢林の潅木を刈った。あわてて野営地の周囲に丸い囲いが作られた。これで、もし夜のうちにジャガーが近づいたら、物音でわかるだろう。
 
 

(この小さなバンドのリーダーは「のっぽのビワンギ」といい、彼の妻ピキュギはピラジュギの姉妹だった。アチプランギがいなくなった時二人はいなかった。何日か彼らだけでバンドから離れていたのだ。その頃同じバンドで生活していたのは、彼らの兄弟の一人であるジャヴァギだった。アチプランギの兄弟のメンボギは、まだ完全な大人でなく、姉妹であるチェブギや、その夫「あごひげのカンジェギ」の火で眠っていた。クチンギは妻のクアレギや老いた母親のカネギと一緒にいた。クアレギの兄弟のベタパギはじきに25歳だったが、独り身で、姉妹の火のそばで眠っていた。その他に「刺し屋のカンジェ」(彼は硬木でできた弓で妻を突き刺した)、グランドパ・ベプランギ、ピラジュギの父のブリクギや他に半ダースほどがいた。バンドは小さく、9人の男と7人の女、それに何人かの青年と子供だった。もっとずっと大きいアチェが川を少しさかのぼったところに野営していた。そのリーダーは「殺し屋クラヴァチンギ」だった。彼の名前の由来は、棍棒の戦いで二人の男に致命的な傷をおわせたことと、死んだ仲間と一緒に葬るための殉葬に何人かの子供たちを殺したことからきていた。)
 
 

 翌朝早くから、ビワンギのグループは荷物をまとめて大きいほうの野営地に向かった。男も女も悲劇の罪を互いに負わせようとして、夜中ものすごい口げんかやののしり合いをした。殺し屋クラヴァチンギが聞けば激怒して、棍棒の戦いを申し出るかもしれない。メンボギとピラジュギだけが何も言わなかった。
 

 二日間移動して、大きいほうの野営地に着いたとき、野営地は放棄されていた。雨の降る前にクラヴァチンギは川を渡り、一行はずっと南のほう、オウムが泥を食べにくる場所に行っていた。同じ方向では「雷の敵」が最近アチェを殺した。クラヴァチンギの一行は、竹林に着くまで、迅速に音を立てず動いたのだろう。のっぽのビワンギの一隊は川の北岸を移動し続け、毎晩新しい野営地をはった。一日か二日ごとに、アチプランギを呑みこんだあのジャガーの足跡が見られた。ジャガーがアチェのバンドを追跡することはよくあったが、つい最近殺したジャガーというのは、ほっておくことはとうていできないものだった。人々はとげとげしく、狩人たちはバンドを遠く離れて分散しないように注意した。
 

 数日後に、ピラジュギがペタパギと結婚した。彼は毎日優しく話しかけたり、ヤシの核をもっていってやったり、彼女の火のそばで眠っていいかをたずねたりしていた。また他のメンバーがとっくにまどろんでいる時でも起きていて、冗談やお話を彼女の耳にささやきかけていた。当初彼女は拒んだ。彼は醜く、狩人としての精彩もなかった。だがバンドの他のメンバーたちは、再婚することを彼女に強制した。彼女はついに折れたが、アチプランギの死んだ日から取りついている悩みが解けたわけではなかった。ベタパギは赤ん坊を生むだろう。だがいったいピラジュギは赤の他人の子供の父親にすすんでなるのだろうか?
 

 その答えを知るのに長くはかからなかった。数日後にキャンプで赤ん坊は生まれ、すべてのアチェが乳児を注意深く調べた。幼い子供らは、母親にしかられ追いやられたが、出産を見て赤ん坊にさわろうと群がってきた。ベタパギ以外の男はみなそこにいた。彼は陣痛の始まりとともに、弓を持って行ってしまった。
 

 赤ん坊は小さく、髪の毛がわずかだった。アチェは髪の少ない子供にはあまり愛情を感じない。母親が出産してから回復するまでの間、赤ん坊をあやそうと申し出る女も、へその緒を切ってやるためにすすみ出る男もいなかった。暗黙に彼らの態度が示すことは一目瞭然で、ことをすすめるためにクチンギが発した一言だけで十分だった。「赤ん坊を埋めろ」と彼は言った。「まともじゃない。髪がない」「その上、父親がいない。ベタパギは喜ばない。もし生かしておくのなら、お前は捨てられるだろう」。ピラジュギは何もいわなかった。老女のカネギが、静かに壊れた弓で穴を掘り始めた。赤ん坊と胎盤が中に置かれ、赤い砂土がかけられた。数分後にアチェは持ち物をまとめ、グランドパ ベプランギが弦のゆるんだ彼の弓で、下草を分けて道を作りはじめた。ピラジュギは疲れていたが荷物がなく、ついていくことは容易だった。森を横切るときには女たちはそっと声を上げた。「Oooooooooh Kuajy maiecheve......」「世話してくれた両親と祖父母よ・・・」
 

 晩に激しく雨が降り、次の日も降った。人々は野営地にとどまり、近くのヤシを倒して、食べられる澱粉をふくんだ繊維をとっていた。ピラジュギはヤシの核だけ食べて休んだ。ベタパギはかれの新妻のために、ヤシの繊維を持ってきてやったが、その後アルマジロやパカの巣穴を探しに出て行った。次の日は晴れた。男たちは早朝狩りに出た。来た道を引き返して、ピラジュギの出産したところまでやって来た。まもなく、息を切らせてゼイゼイいいながら戻ってきて、興奮して話しあった。ジャガーが雨の間にやってきて掘り返したのだ。赤ん坊も胎盤も一緒に食べられていた。男たちは動揺していた。すぐにも大きな川を渡って、南にいる大きいグループと合流したがった。一同は賛成し、川へ向かう道が切りひらかれた。最近の雨で、腰まで水に浸かる湿地を進むのは難儀だった。男たちはその間近くで狩りをした。子供たちといえば母親の近くを一時も離れなかった。川は渡れそうになく、ジャガーは、バンドのすぐそばをつきもせず離れもせずに追跡し続けていた。
 

 バンドは小高い地点で歩みをとめキャンプをはった。若木や低木を刈り、周囲に厚い囲いをつくった。ジャガーが夜やって来ても、やかましく音をたてるので彼らは身構えることができるだろう。あごひげのカンジェギは森の奥に入りこみ枝を探していたが、にわかに悲鳴をあげてキャンプに走り帰ってきた。ジャガーに襲われたのだ。だがジャガーの攻撃はやや慎重なものだったので、逃げることができた。肩から血を流していた。男たちは囲いづくりに専念し、もう狩りにはだれも行かなかった。
 

 二日間雑木の囲いの中にとどまった。狩りをするものもなく、食料は僅かしか見つからなかった。子供たちは腹をすかせ泣き声をあげた。あごひげのカンジェギがジャガーに襲われて以来、彼らは木の上で眠っていた。その晩は静まりかえっていた。獲物が少なく、子供は早くから眠りにつき、男たちも冗談も言わず歌を歌いもしなかった。月光は小さく、森はまるで深い洞穴の奥のように真っ暗だった。ぐっすりとみなが眠りこんでいたとき、身の毛のよだつような金切り声で夜のしじまが破られた。ピラジュギのかん高く軋んだ声のあと沈黙がきた。男たちはめいめい炎をあおり上げ、女と子供は泣きじゃくり出した。何人かの子供は近くの木によじ登り、そのすぐ下に母親が立った。火炎が高く舞い上がり、何が騒ぎの源だったかが分った。一頭の雌のジャガーが、キャンプの端っこの藪に立ち止まっていた。ジャガーの口からはピラジュギの身体がぶらぶらと揺れていた。ピラジュギの頭蓋は引き裂かれ生きていなかった。何人かの男がジャガーを射ようとしたが、ジャガーは獲物を放して夜の中に走り去った。
 

 バンドはおびえていた。低い声でアチプランギの言ったことを話した。いなくなるほんの数日前に、彼は妻にこう言っていた「自分はもう帰ってこないという夢を見た。お前のお腹の中の赤ん坊、それからお前も食べるだろう。それからもう戻ってこないだろう」。夢は正夢だったのだ!まさしく彼が語ったとおりだった。他の者たちは、あのジャガーは幼獣のとき彼らが育ててやったのと同じやつだろうと話し始めた。そいつはあまり大きくなって放したが、人間を恐がらなかった。ちょうど今のジャガーのように、あのジャガーの子もバンドの後についてくるのが常だった。
 

 次の日も藪の囲いの中にとどまった。老女カネギは婿のクチンギに言った。「今夜のお月さんは薄っぺらだ。木のなかで待ち伏せてジャガーを仕留めるんだ。」その夜みなは細心の注意を払った。潅木が刈られ、キャンプの周りに大きな円を描いてうずたかく積み上げられた。薪が多目に切られ、闇に炎が舞いあがった。クチンギは言われたとおりに弓矢を持ち、キャンプ地を見おろす高い木の上で待ちかまえた。ジャガーが戻ってくれば、射とめる可能性は十分にある。
 

 夜更けに一人また一人と眠りに落ちた。ほとんどはぐっすりと鼾をかいて寝ていた。クチンギだけは、キャンプ地を見下ろす居心地の悪い大枝に陣取って見張りを続けた。だしぬけに、さらさらという音が聞かれ、年取った雌のジャガーのからだが見られた。素早くクチンギは武器をとり大型獣用の羽のある矢を射った。撃たれた獣はウウーッとうなった。一瞬我を失って痙攣し、その後、前足で素早くバキッと矢柄をはらい折って、闇の中に走り去った。
 

 翌朝男たちは、ジャガーの形跡を数百メートル追ったが、その後キャンプ地に戻った。クチンギはジャガーの死んだ夢を見たのだ。だれもそれ以上追いたくなかった。一人残らずフィロデンドロンの実を集めにいった。空腹だったのでカゴ一杯に持ち帰った。それから持ち物をまとめ、丸太を川を横切るように切り倒して、大きな川を渡った。丸太の上部には、手掛かりとなるように蔦が張られた。蔦は各人が手で握るたびに揺さぶられたが、それでも水中につかってしまうこともある滑りやすい足場を安定させるのに少しは役だった。
 
 

(1962年のことだ。小さなバンドはまもなく殺し屋クラヴァチンギをみつけ、大きなキャンプ地の安全が回復した。彼らの懸念に反して、殺し屋クラヴァチンギは棍棒の戦いを命じなかった。ピラジュギの兄弟のジャヴァギは独身だったが、遠からず妻を見つけることになるだろう。あごひげのカンジェギの妻のチェヴギは、男の子を数ヵ月後に出産し、メンボギは思春期の儀礼で唇に棒をさすための穴をあけることになる。これから結婚して、自分の子供ももつようになるだろうが、彼が森の生活を捨てて、混乱した白人の世界に生きるようになっても、兄弟を殺したジャガーの記憶は脳裏に付きまとうだろう。)
 
 

(1989年7月のとある新月の晩、われわれがこの話を聞くのは、少なくともすでに5回目だった。だがこのときには、この話は今までにない広がりをもたらした。すでにこの本で紹介する分析の一部を終え、この話は典型的な一週間の森のくらしを必ずしも表していないと気がついていた。アチェはパラグアイで新しく私たちと接触した狩猟採集民であったが、過去12年間にわたり彼らと仕事をしてくる中で、たびたびこの話を聞かされていた。すでにこの本の大部分が執筆された1990年と1994年の夏にも再び聞くこととなった。われわれに語ったのはクチンギであり、妻のクアレギであり、ペタパギであり、ピラジュギの兄弟のジャヴァギであった。それは実際に起こった話だったが、メンボギの話に耳を傾けながら、依然として話の細部に驚嘆させられた。その細部というのは現実であり、そう遠くない過去に実際に起こった出来事の描写であるという点で、アチェの生活のあり方を忠実に再現するものだった。だがもしナイーブな人間が聞くと誤って、アチェの生活を特徴づけるごく普通の生活パターンについて歪曲した考えをもつかもしれない。平均的なアチェは男であっても女であっても、ジャガーに食べられないし、大半の子供は生きたまま埋められることもない。しかしながら時にはこういったことも起こるのである。そしてアチェの狩猟採集戦術に始まり、通婚パターンや神話にいたる様々な生活の他の側面に、重要な影響を及ぼすのである。とりわけ、大人や子供が不可避の原因によって死亡する割合は、人の一生の間に起こる出来事の時期選択を理解する鍵となるかもしれない。しかしこのような関連付けのためには、われわれは語りの次元から出て、科学的理論とデ−タ分析の領域に入りこむ必要がある。)
 
 

(訳/曽田菜穂美)