森の民の生涯



 

 ■森に棲む人々はどんな一生をおくるのか

  エチオピアの森に棲む人々(マジャンギル)の集落を訪ね、調査を開始してからかれこれ15年が経過した。エチオピアの内戦が終わってまもなくの1992年当時に比べると、森の生活も落ち着き、ふかい森と焼畑にひっそりと取り囲まれた小さな家々の他には何もなかった集落にも、政府の診療所や小学校ができた。集落に入ると気さくに出迎えてくれる人々の笑顔や畳三畳ぶんほどの小屋での筆者の居候生活は変わらないが、当時まだ少年だった友人の男の子も働き盛りのたくましい男になり、生まれたばかりの赤ちゃんだった女の子も年頃の娘になった。一方で筆者の方も、お前が村に初めて来た頃はほんの子供だったのになあ、なんて言われたりする(実際は25歳の大学院生だったわけだが・・)。

  ずっと続けてきた焼畑、狩猟、採集活動や土地利用史の調査の傍ら、5年ほど前から人々の生活史(ライフヒストリー)や人口動態の調査にとりかかるようになったのは、こうした村の子供たちの成長を間近にみて、「マジャンの子供達は、どんなふうに成長し、結婚し、子供を産んで生涯を終えるのだろう?」「どのくらいの赤ちゃんが大人まで生き延び、どんな理由で亡くなってしまうのか?」「日本人の生涯と、どれだけ違うのだろう?」といった疑問がわいてきたからである。2年もあれば一段落つくだろうと踏んでいたが、データを追いかけているうちに5年が経過してしまった。恩師には「泥沼にはまりかけてるんちゃうか、君」なんて溜息をつかれたりしたが、自分にとっては苦しくもこれまでにない楽しさを感じている調査である。ほんのさわりだけ、紹介したい。
 



 

 ■ライフヒストリーを集める

  研究の基盤となるデータは成人男女からのロングインタビューをとる形で集めた。ロングインタビューといっても、短い場合は15分で終わる。しかし相手がノってきていろんな昔話が始まると、80分を超えることもある。最低限聞き出そうとしたのは、出生地と移住歴、いつだれと結婚(離婚)し、子供はいつ産まれたか、といったことに関する正確な情報である。正確な情報、と書いたが、とくに出産歴に関してはこれを聞くのが難しい。先進国をのぞく様々な社会と同様に、乳児死亡が珍しくないからである。屈託のないマジャン女性の多くはこちらの無礼な質問にも嫌な顔もせずに答えてくれるが、愉快な質問ではないだろう。意識的、無意識的に幼くして亡くなった子に対する言及を避ける場合も多いと考えられる。聞き落としを可能な限り避けるため、一人の生活史情報を確定する際には、必ず配偶者や兄弟姉妹などから矛盾がないか確認をおこなっている。こうして2007年3月までに、400人を超えるライフヒストリーデータが集まり、未成人をあわせおよそ700人の個人ファイルを作成した。

  これらのデータを分析するにあたっては、大きな難題がある。それは、それぞれの個人の年齢を確定することである。これをやらないことには、初婚年齢や初産年齢をはじめとする生活史の分析は不可能であるが、文字記録のほとんど存在しない森の中では、これがなかなか難しい作業である。初めてマジャンの森に入り調査を始めた頃、知り合った人たちの年齢を次々に尋ねて記録していったことがあったが、後にこれらは実年齢と大きくかけ離れていたことがわかった。とくにもっとも親しく世話を焼いてもらった友人が、「自分は27歳だよ」というので、自分とあまり変わらないんだなと思っていたら、実は40歳をとうに超えていたことがわかりショックをうけた。20歳近くも鯖を読まれていたのに全く気付かなかったのである。もちろん彼らは筆者を騙しているのではなく、たんに正確に歳を数える習慣をもたないだけである。

  年齢を確定する方法として、まず相対年齢を割り出すことにした。出身地の近い人どうしをグルーピングし、グループ内の同年代以下の人に関して、年上・年下関係を聞いていく。これで割合に正確な情報が得られることがわかったが、矛盾する情報ももちろん多々ある。全ての情報をまとめた上で、矛盾する情報については多数派の証言を採用する形で相対年齢を確定した。あとは、絶対年代のわかっている出来事(例えば、地方政府の行政官が着任した年に生まれた子供、など)にそれを重ね合わせて各個人の生年を西暦で明らかにした。こうした作業にかれこれ5年も費やしてしまったが、なんとか信頼性の高いデータベースを作成することに成功した。
 

  (集落で最高齢のおばあさんは、イタリア軍が森にやってきた時代の話も含め縦横無尽に語る。7人の子を産み、うち4人は成人するまでに亡くなった。)



 
 

■森棲みの少子社会

  さて、この仕事はようやくデータがまとまってきたところで、本格的な分析はこれからであるが、現段階で目を引くことだけ記しておく。まず驚いたのは、女性ひとりあたりが生涯に産む子供の数が非常に少ない(平均4人に満たない)ことである。史上稀に見る少子化社会に突入している現代日本は別として、いわゆる伝統社会の例としては最低レベルである。多くの定住農耕社会が多産であるのに対して、狩猟採集社会の多くは少子社会であることが知られているが(その典型的な例がブッシュマンである)、マジャンのような移動農耕社会は、農耕をおこなってはいても狩猟採集社会に共通する要因を持っているのかもしれない。

  マジャンが少子社会である直接の原因をさぐってみると、ひとつの大きな原因として、女性の有配偶期間が短さがあることがわかった。なぜ短いのか、いろいろな要素がある。まず、初婚年齢が高いこと。マジャンの女性の多くは結婚して2、3年のうちに子供を産むが、その初産年齢の平均は24歳である。これまで報告されたいわゆる伝統社会の多くでは、初産年齢は20歳前後であることを考えると、マジャン女性の独身期間がかなり長いことがわかる。そのほかに、離婚の多さが有配偶期間を短くしていること、また離婚した女性で再婚しない女性も多く見られることなどがあげられる。

  マジャン社会の出生パターンをみていると、逆に「伝統社会」といわれている多くの社会の特徴がわかるように思えてくる。マジャンをとりまくアフリカの他の農耕社会、牧畜社会を眺めてもそうだが、これらの圧倒的多数は女性の管理が厳しい「個人よりも親族を優先する」社会である。結婚に際して女性はきわめて高価な婚資と交換されるため、結婚には本人の意思よりも親族の意向が尊重される。一夫多妻婚により富裕な男性が年齢の離れた女性と結婚し、女性の初婚年齢は非常に若い。婚資の支払いに関わるため、離婚は困難である。これらの特徴は、同世代と結婚する割合が高く、離婚率も高いマジャン社会とは対照的であるように見える。蓄積可能な財をもたない狩猟採集社会も、マジャンと共通する結婚・出生パターンを持つものが多いのではないかと思う。
 



 
 

 ■森の民の生涯、現代日本人の生涯

  マジャンの人生のもうひとつの特徴は、「一人前の大人になるまでの時間が長いこと」である。結婚年齢が男女とも高いということは、所帯を持つに十分な大人としての生活力を身につけるのに時間がかかるということを意味する。男の子の場合だと、6歳くらいから大人に連れられて森に出かけ、遊びながらゆっくりと森の知識を獲得してゆく。10代の少年たちはほとんど家計に貢献することはなく、焼畑にせよ狩猟にせよ、17歳くらいになっても彼の稼ぐことのできる収穫量は働き盛りの大人の半分に満たないくらいだ。しかし少年期、思春期をとおしてゆっくりと生活技術を身につけることが重要で、30歳に達するくらいになるまでに、妻子を養うために十分な力を身につけている。少年時代に森で遊ぶこともなく、大人になってから村にやってきたとしても、森の仕事を身につけることはできない。

  現代日本人の場合も、子供はほとんど家計に貢献することがないばかりか、正直いって、コストでしかない存在である。多くは成人してもまだ勉強を続け、大学を卒業する22歳前後になってようやく会社に入る。会社に就職して数年が過ぎるとようやく戦力となり利益を生むようになる。ただし、それまでの時間を無駄に費やしているわけではなく、それまでの知の蓄積があるからこその稼ぎであろう。やや単純な発想かもしれないが、近世農村のような典型的な農耕社会に比べると、現代日本人の人生はマジャンのような焼畑、狩猟採集社会の人生によっぽど近いのかもしれないと思う。

(付記:この研究は、三菱財団人文科学助成、および文部科学省科学研究費による助成を得ておこなうことができた。)


  (泊まりがけの蜂蜜採集の旅についてきた子供たち。15年前に撮影した写真で、今では立派な大人に成長した。)



 

 (『クロスオーバー』23号より)

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