焼畑のつくりかた 


─可塑的な森林の焼畑技術─



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【トウモロコシ・モロコシの混播畑】



【焼畑の森をたずねて】

●ひと頃、焼畑は森林破壊の元凶、とよくいわれた。科学雑誌などでそんな記事をみかけたものである。また、最近では、焼畑はもともとは優れた農法であり得たが、現代の人口増加に耐えきれず常畑農耕に切り替える必要がある、という言い方がおおい。熱帯林でおこなわれる焼畑が実際にどんなふうにつくられるのか、一年を通してじっくりと見てみたいと思った。エチオピア西南部の森林地域で研究をはじめたのはそんな理由である。


エチオピア(古い地図なのでエリトリアが含まれている)とマジャンギル居住域。赤い部分がマジャンギル居住域。エチオピア東部高地の縁辺にあたる部分である。エチオピアの中央を北東から南西に斜めに走るのが、グレート・リフトバレー(東アフリカ大地溝帯)。

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<上空から見たマジャンギルの森>

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●エチオピアの西南の一角には、1万平方キロ程度の常緑・落葉混淆林が低地サバンナとエチオピア高地草原に取り囲まれるように残っている。もっぱらこの森の中に棲み、焼畑、蜂蜜採集や大型哺乳動物の狩猟をなりわいとして暮らす人々がいる。

●この人たち(マジャン、民族の総称をマジャンギルという)は、1年に何回も畑をつくる。おかげで、1年中何かの作物がとれる。このやり方は、気候変動による収穫の失敗に伴うリスクを軽減する。また、1年1作だと、畑の伐採期にけがをしたり町で油を売ったりしていると、1年飢える可能性がある。そのときの暇に応じて少しずつ働くのがベストだ。

●どうして1年中作物がつくれるかというと、雨の量が多いせいなのだが、それだけではない。東南アジアなど多くの焼畑は、年1作のところがおおい。マジャンギルの人々は、実に多くの作物(モロコシ、トウモロコシ、タロ、ヤム、サツマイモ、キャッサバなど)を主食とみなし、それぞれの季節にとれる旬を楽しむ。収穫のバラエティには、イモ類が大きな役割を果たしている。

●一般的な焼畑は、乾季の間に森を伐採する。伐り倒された植生は、乾季が終わる頃には乾燥している。これを雨季入りの直前に焼く。雨季がくると同時に種をまき、あとはヒヒやイノシシ、グリーンモンキーなどの動物に食われないように適当に見張りながら、収穫を待つ。 


<山刀を用いた焼畑の伐採風景>



 

<焼畑の火入れと、成長するトウモロコシ> 


●ひとつの畑の収穫は、一度に終わらせるわけではない。収穫期には男も女も集落から森の畑に出かけていき、昼間の多くの時間を森ですごす。そして、収穫したての作物を畑の出小屋で調理して食す。この時期には、獲物を捕ったり、蜂蜜をとるために森の木の上に仕掛ける蜂の巣箱をつくったり、畑を取り囲む森でする仕事がおおい。


【「焼かない」焼畑】

●わたしたち日本人は、焼畑をまず「森を焼く」ものとして考える。「焼畑」ということば自体、なんとなく自然破壊のイメージを惹起しやすい。しかしこれは、従来ひろくおこなわれていた焼畑という農耕技術の本質からは遠い。

●たとえば英語では焼畑のことをshifting cultivationという。日本でも昔「切替畑」ということばが使われたことがあった。これらの言葉は焼畑の技術上の特徴をよくあらわしている。焼畑の本質は「休閑」にある。焼畑は、通常耕作期間の数倍(時には数十倍)の十分な休みを土地に与える。また多くの場合土地は耕さないので、気候にあわせた休閑パターンをとれば、元の植生は比較的早く回復する。

●マジャンギルはというと、彼らは焼畑をおこなうことを単純に「畑を伐る」という。先に紹介したように、乾季に畑を伐る場合、一般的な方法と同じように、植物遺体を天日で乾燥して、焼く。ところが、「焼かない焼畑」もある。

●この技術は、播種した上にわらやビニールなどをかぶせて幼苗を保護する「マルチング技術」と同じ類のものといえる。この方法によって、雨期に畑を伐採することも可能になるし、植物遺体はそのまま土中に還元されることになるので、土地の負担もきわめて少ない。こうした柔軟な技術を駆使することによって、マジャンギルの人々は1年のいろいろな時期に畑をつくり、飢えることなく豊かな食生活を送っている。おかげで私のような居候も、お世話になることができるのである。 


 

(上)雑穀の種を播く:焼かない畑の場合、伐採する前に予定地のブッシュに種をばらまきする。

(下)播種直後に植生を伐る。植物遺体が種子を保護し、後には養分として土地に還元される。


【森のめぐみは焼畑ばかりではない ─蜂蜜採集─】

●さてマジャンギルの人々は、焼畑の作物を商品としては考えない。将来的には、わからない。現在のところは、焼畑はおおむね自給用の作物であり、自分でも食べるし、人に要求されれば、惜しまずになくなるまでふるまう。

●マジャンギルの男たちは現金を得るためには、蜂蜜を獲って市場に売りにでかける。これは作物を売ることに比べると断然に稼ぎがいい。1-2回ヒョウタンに蜂蜜をいれて町に運べば、当面必要な調味料や衣服、あるいは時計や靴を買うこともできる。結婚するために必要な婚資も、蜂蜜をとって稼ぐのである。30個くらいの巣箱を森に持ち、安定した収入を得ることができれば結婚しても大丈夫、とマジャンの人たちは言う。マジャンギルの蜂蜜を買う町の高地人たちは、蜂蜜酒酒場「タッジ・ベット」の経営者などの人びとである。

●蜂蜜を採るためには、森の木の枝に円筒形の巣箱を仕掛ける。コルディアの木の幹をくり抜いたものだ。成人男子の、少ない人で20個くらい、多い人で100以上の巣箱を森に持っている。そして、蜜がたまった頃に、見習いの子供を助手として引き連れ、森に出かけてゆく。子どもたちは、とれたての蜂蜜を食べるのを楽しみに、喜んで参加する。子供たちはこうして長い時間をかけて森の知識と技術を習得してゆく。活動時期は、蜂の活動が不活発になる夜間、だいたい19時前後がおおい。


<日没後に森へ出かけてゆく>

 

<木に登る前の下準備:ロープづくりと、巣箱にかぶせるふたづくり> 


●マジャンギルの口頭伝承では、「自分たちが森に好んで住むようになったのは、争いごとが嫌いだったから、そして森の木々や蜂蜜を求めて移動するようになった」という。マジャンギルにとって蜂蜜を採ることはとても大事なことだし、蜂蜜のとれる森は大切な生活の場である。森がなくなっては、生活が成り立たないのである。
 
 
 


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